プロフィール

プロフィール

kameko

名前 かめぴよ
生年月日 1987年10月18日
血液型 O型
出身地 宮城県
家族構成 夫・娘(1歳)
趣味 アニメ・漫画・舞台

 

かめぴよ波瀾万丈人生

はじめまして♪

ブログ運営+子育て奮闘中!のかめぴよと申します。
自分で言うのもあれですが、これまでいろいろありました。
「かめぴよってこんな人!」ってのがわかってもらえたら嬉しいです♡

 

人見知り全開な学生時代

元々人見知りで内向的な性格だった私ですが、中学生になってからさらに悪化。
特に「男子」とは全く会話が出来ず、友達が男子と話していても近くで笑っているだけ・・・
そんな状況にもかかわらず、少女コミック(特にりぼん系)が大好きだった私は「彼氏が欲しい」と思うようになりました。

中学生の頃は生活環境も激変しました。
なんと父親が仕事を辞め、かめぴよ貧乏時代に突入したのです・・・

父親の再就職もなかなか上手くいかず、母親のパート代のみの生活。

中学生ながら「うちってもうお金ないんだな」とわかるくらい、どんどん生活は質素になっていきました。
家に何も食べ物がなく、弟と途方に暮れたことも。

団地に住んでいてご近所さんとは仲が良かったので、お米や調味料など、いろいろと助けてもらいました。
今思えば、きっと母も恥ずかしい思いをたくさんしていたと思います。
それでも母は一生懸命我が家を守ってくれていました。

 

家計が火の車の中、高校生になった私は呑気にきらきらした高校生活を妄想していました。
そして「何もしなくても自然に彼氏が出来る」と思い込んでいました。

かめぴよ
だってマンガの中ではみんな彼氏出来てたんだもん・・・

そのため、人見知りを治す努力もせず、相変わらず男子とは会話が出来ない日々。
廊下であいさつをされても聞こえないふりをして逃げる始末。(最低ですね)

その結果、3年間彼氏は出来ませんでした。
この時はまだ気づけていませんでしたが、今思えば何も行動していないのだから当たり前の結果です。

かめぴよ
友達と毎日「爆笑オンエアバトル」「ピューと吹く!ジャガー」「プロレス(NOAH)」の話ばかりしていました

家庭環境の方は変わらず貧乏。
私がアルバイト出来る年齢になったので、高校入学とほぼ同時にアルバイトを始め、家計を助けていました。

 

人生が変わった専門学生時代

高校卒業後インテリアデザインの専門学校に進学した私は、ここで気持ちを入れ替えます。

「もっといろんな人と会話しよう!」

今更かよって感じですが、私はやっとここで変わる努力をしました。

具体的には

・自分から男性、女性関係なく挨拶をする
・話しかけてくれたら笑顔で話す
・イベントには積極的に参加する

といった感じです。

その結果、男女関係無く、たくさんの友人が出来ました。
本当に毎日が楽しくて、学校で爆笑しない日は無いくらい笑ってました。

肝心の授業内容はよく覚えていませんが(先生すみません)、みんなで放課後に遊んだこと、初めてピアスを開けてもらったこと、レンタカーを借りて海に行ったこと、ここでは語りつくせないくらいの思い出があります。
高校生の頃ももちろん毎日楽しくて高校の友人とは今も仲良しなのですが、その頃とはまた違う楽しさが専門学生の頃にはありました。

しかし、私は2年生の頃に中退しました。

理由は「インテリアを学んでお金になるんだろうか」という思いから、学校に行く意味がわからなくなったからです。

専門に入るにあたって、学費は奨学金を使い、自分で支払うことになりました。
ですが、入学金に関しては時期的に奨学金が間に合わず、父親が用意してくれていたのです。

これが我が家が崩壊するきっかけになりました。
父親はあまりよろしくないところからお金を借りていたのです。

それからはかめぴよ借金時代に突入です。

家計は私と母親のバイト代+奨学金でなんとかやりくりをしていましたが、父親のギャンブルに消えることもしばしば。
そのたびに我が家は地獄の空気になり、しまいには借金取りからの取り立てがスタート。

電話が鳴りやまず、母親の職場にまでも電話。もちろん家にもスーツを着た男の人が来ました。
私は家で一人、震えながらトイレに隠れていました。

その後両親は離婚。父親は家を出て行きました。

私は今でも専門学校に行ったことを少し後悔しています。

専門に行かないで働いていれば、家族はバラバラにならなかったのではないか。
みんなに辛い思いをさせずに済んだのではないか。

そして先ほどの「インテリアを学んでお金になるんだろうか」という考えに至ります。
みんなといるのは楽しいけれど、一生懸命学ぶ意味はあるのだろうか。それなら働いてお金を稼いだ方がいいのではないか。

結果、私は学校に行かなくなります。

中退すると決めてからはすぐに行動。バイトも辞め、公共施設の事務員(契約社員)として働き始めました。

 

社会人としての人生がスタート

元々は大道具の仕事がしたくて入社したのですが、入社後に「音響と照明の会社」ということを知り、やりたいことを失います。

かめぴよ
ちゃんと調べずに入社しました・・・バカな私・・・

なんの経験もなかったので、その会社が運営している施設(ホールなどがある施設)の事務員として配属されます。
パソコンはおろか、事務の仕事などしたことがなかった私は、毎日必死に仕事を覚えました。
職場の先輩方はみんな優しく良い人たちで、とても楽しい環境でした。

なにより、頑張りがお金になるというところが社会人としての一番の魅力でした。

借金取りから逃れるため、母と弟3人で引っ越しをしました。
その引っ越し費用を私が肩代わり(カードローンで30万円)していたので、借金(貧乏時代のもの+引っ越し費用)を返すためにお金が必要だったのです。

私生活では、初めてできた彼氏に浮気をされ、振られるという経験をしました。
実は専門時代に初めての彼氏が出来ていました。
遠距離だったのですが、とても楽しく幸せな日々でした。

ですが、私が社会人として働き始めてからは時間が作れなくなり、会う日が激減。
結果、相手に浮気をされてしまい捨てられました。

当時は完全に悲劇のヒロインと化していた私ですが、今思えば私にも非はありました。

・忙しいを理由に会う時間を作る努力をしなかった
・連絡をする頻度が減った
・相手が会いに来るという日も疲れているという理由で断った

 

1年ほど付き合っていた私は、「彼ならわかってくれるはず」と勝手に思い込んでいました。
今ならそれが間違っているとわかります。

いくら恋人であったとしても、人の気持ちは言葉にしないと伝わりません。
これは長年連れ添った夫婦でも同じ。コミュニケーションを怠った時点でもうダメなのです。

その後もこのことに気づけず、付き合う度に彼氏とは長続きしない人生を歩むことになります。

 

うつ病、転職、夜の仕事、東日本大震災

事務の仕事はとても楽しく、充実した日々を送っていたのですが、元々は技術さんの会社。
音響や照明の知識や技術を学ぶ必要がある、と上司から言われました。
その頃は入社して2年あまり経過していたのですが、事務の仕事以外に魅力を感じませんでした。

そして悩んだ結果、退職をすることにしました。

この決断が正しかったのかは今でもわかりませんが、ここからかめぴよ暗黒時代の始まりです。

転職活動も思うようにいかず、連続7社書類選考落ちという記録をたたき出しました。
お金もどんどんなくなり、カードローンを返しては使い、返しては使いの最悪の環境でした。

かめぴよ
計画的に退社すれば良かった・・・

そんな時、幸運にも母の知り合いからお声をいただき、病院の薬剤師補助として働くことになりました。
もちろん薬剤師の資格はないので、あくまでも補助として雑務をする仕事でした。
一般企業とはまた違った雰囲気の職場でしたが、皆さん優しく、必死に仕事を覚える日々でした。

まだ入社して1、2か月くらいの頃、私の目の前で患者さんが倒れて亡くなるという出来事がありました。
今までに味わったことのない緊張感、何も出来ない私。

この日から私の体調は日に日におかしくなります。

・食欲がない
・眠れない
・涙が止まらない
・何もする気になれない
・外出が怖い

 

私はうつ病になっていました。

様子がおかしい私を見て母が病院に連れて行ってくれたのですが、そこで診断されました。
その後職場にも行くことが出来なくなり、わずか3か月ちょっとで退職
毎日部屋のカーテンを閉めて泣いていました。

しかし、療養している時間はありません。私が働かなければ家計が成り立たないからです。
この頃は弟も働いていましたが、借金返済もあったため3人で働いてやっとという生活でした。
なんとか転職活動を頑張るものの上手くいかず、なんだかもうどうでもいいや!という感覚になりました。

そして近所のスナックで働き始めます。

実はキャバクラも一日体験したのですが私には合わず、スナックに落ち着きました。
田舎のスナックなのでゆる~い感じでしたが、初めての接客に悪戦苦闘の日々。

初めてのお酒作り、初めての接客、慣れないカラオケ、酔っぱらいの絡み・・・

気づくとうつ病のことは忘れていました。
そのくらいしんどかったのです。

ここからは転職ラッシュ!!
派遣のテレアポに始まり、雑貨屋、ソシャゲサポート、リース会社の事務、インターネット回線の会社。
いろんな仕事をしました。

雑貨屋で働き始めた頃には、東日本大震災も経験しました。
運よく我が家は津波被害もなく家族みんな無事でしたが、すぐ近所までは津波が来ていてぐちゃぐちゃになっていました。
弟の職場の駐車場には遺体の山があったそうです。

あの光景は今でも鮮明に覚えています。

 

同棲生活、2度目のうつ病、病気

ソシャゲサポートのバイトをしていたころ、気づくと彼氏いない歴3年
年齢は24歳。そろそろ周りが結婚を意識し始める時期でした。

そんな時、長年連絡を取っていなかった友人から突然「婚活パーティー行かない?」と連絡が来ました。
久々だし唐突だしで頭の中は「???」状態だったのですが、初めての「婚活」という言葉に興味津々でした。
ネットで調べれば調べるほど婚活をしてみたくなり、エクシオの婚活パーティーに参加することにしました。

そしてこの婚活パーティーで今の夫と出会いました。

エクシオでの出来事はこちら


夫との出会い
エクシオ
エクシオの婚活パーティー体験談 サクラ疑惑・・本当はこうでした!

続きを見る

 

「長く彼氏がいなかった+元々の人見知り炸裂」で会話が上手くできない時もありましたが、婚活の知識だけはあった私。
「笑顔は最大の武器」という言葉を信じてデートを重ね、見事交際がスタート。
彼(今の夫)は不思議な人で、初めて気を使わずに付き合える彼氏でした。

そして半年ほどたったある日、彼から「同棲しない?」と提案されました。
私はとても悩みました。年齢的にはもう実家を出ても何もおかしくない年齢ですが、問題は家計です。
私がいなくなることで我が家はどうなってしまうんだろう。と毎日考えました。

でも彼と過ごすうちに、私の考え方が変わっていきました。
これからは家族のためではなく、自分のために生きたいと思うようになったのです。

母と弟に同棲したいと説明し、母からは「寂しい」とあまり喜んではもらえませんでしたが、強引に家を出ました。
きっとたくさん迷惑をかけたと思います。ごめんなさい。ありがとう。

同棲生活は幸せいっぱいの日々でした。
お互い実家住みだったので、家事もなにもかもが新鮮でした。
ケンカもたくさんしたけれど、こうして自分の意見を言える相手も彼が初めてでした。

そしてインターネット回線の会社に就職した頃、また私の人生が変わります。
2度目のうつ病です。

入社前から残業の多い職場だということは覚悟の上だったのですが、想像以上の激務でした。
毎日残業は当たり前。遅いときは日をまたぐころに帰宅。誰も相談できる人が職場にいない。業務も特殊で難しい。
今までの仕事の中でダントツにしんどかったです。

もちろんその分お給料は良かったので頑張りました。
ですが、私は壊れてしまいました。

胃炎から始まり、体の不調が続き、診断されたのは「うつ病」
薬を飲みながら頑張りましたが、限界を感じ退職
あの頃は彼にとても支えられました。彼がいなかったら2度目のうつ病は乗り越えられませんでした。

退職後は少し体を休め、派遣の事務を始めました。
この仕事が本当に楽しくて、職場の人達とも仲良くなり毎日が幸せでした。

薬を飲みながらもうつ病の症状がたいぶ落ち着いてきた頃、またもや体に不調が訪れます。
次は「食道潰瘍」でした。

なかなか原因に立取り付けず、病院をたらい回し。本当にしんどかったです。
ありがたいことに派遣切りにあうこともなく、1週間ほど療養し無事完治しました。

 

数々の不幸を乗り越え、結婚・出産

そして季節も春がやってきたな~という頃、彼からプロポーズされました。

かめぴよ
プロポーズといっても婚姻届を「書いといて~」と渡されただけですが(笑)

お互いの両親の顔合わせも住み、無事入籍
その後は結婚式はせずにフォトウエディング。
和装・洋装どちらも写真を撮り、すごく楽しくて幸せな経験が出来ました。

この頃はすでに出会ってから約5年経っていました。
5年間もお付き合いして結婚するなんて、不幸のどん底だった頃の私が聞いたらびっくりすると思います。
本当にあの時婚活をして良かったし、彼と出会えて良かったです。

そして入籍から約半年後、妊娠娘が誕生しました。
妊娠生活は大きなトラブルもなく働きながら過ごしていたのですが、出産予定日を2週間後に控えたある日、突然その日を迎えます。

お腹の中の赤ちゃんの元気がない

そう先生に言われ、緊急帝王切開
なんの覚悟もないまま手術が始まり、大量出血で意識朦朧としながらもお腹から出てきた娘と対面することが出来ました。
その光景は今でもはっきりと覚えています。涙が自然と出たことも。

産後は精神的にも身体的にもかなり追い詰められボロボロになりました。
きっと産後うつに近い状態だったのだと思います。

傷口の激痛、肩と腰の痛み、授乳の痛み、上手く出来ないストレス、眠れない日々

入院3日目にして爆発してしまい、大泣きして看護師さんに助けてもらいました。
その後は退院まで、毎晩泣きながら娘と向き合っていました。

退院後も2か月くらいこの状態が続き、可愛いという感情より「辛い」という感情の方が強かったです。

 

育児にも慣れてきたころ、娘のアレルギーが発覚

3か月ほど経つと育児もだんたんと余裕が出てきて、娘を心から可愛いと思えるようになりました。
本当にほんとーに可愛くて、今でも溺愛しています(笑)

そんな娘も離乳食が始まり、食物アレルギーが発覚しました。
具体的に言うと「乳・小麦・卵」アレルギーです。

ヨーグルトでは両目のまぶたがパンパンに腫れ、パンでは7回も激しい嘔吐をしました。
いくつもの病院で検査や診察をしてもらい、今は大きな総合病院のアレルギー科に通っています。
皮膚も軽いアトピー症状があるので、毎日4種類の塗り薬(ステロイド等)を塗って、白いもち肌をキープしています。

負荷試験や家での治療など、娘にはしんどい思いをさせているけど、一緒にアレルギーと戦っていこうと思います!!

 

ブログ運営

ここまでだいぶ長く私の人生を語ってきました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
最後は「いちごの家」についてです。

育児も落ち着いてきたころ、何か自分でやりたいと思うようになりました。
育児をしながら家で出来ること・・・で思いついたことが「ブログ」です。

 

・自分の経験が活かせる
・人の幸せに携われる
・初期費用が安い

 

これがブログ運営を決意した理由です。
この中でも一番の理由は「経験を活かせる」ということです。

冒頭でもお話しした通り、私は人見知りで男性と話すことも出来ない人間でした。
しかも数々の不幸の連続で、借金もある状態。

そんな私でも結婚することができ、幸せな家庭を築くことが出来たのは「婚活」をしたからです。
婚活をしていなかったら、確実に今の私はありません。

誰でも行動すれば人生大逆転できる!結婚出来るんだ!ということを知ってもらいたい。

そんな思いで、この「いちごの家」を書いています。

同じような境遇の人や婚活を諦めている人、チャレンジしたいけど勇気が出ない人。
そんな人のお役に少しでもなれたら、とても嬉しいです。

かめぴよ

 

2019年3月8日

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